新入園児が園生活に慣れてきた5月中旬、3歳児の二人の子どもが保育室でプラレールを使って楽しそうに遊んでいました。しばらくして、その内の一人のAくんに廊下で出会ったので、「〇〇ちゃんと遊んでいて楽しかった?」と尋ねてみました。そうするとAくんはきょとんとして返事に困ってしまったのです。さっき、お部屋でプラレールをして遊んでいた様子を詳しく伝えると、Aくんは、「ああ、新幹線の座布団の人?」と答えました。Aくんにとっては、〇〇ちゃんと遊んでいたという意識はなく、自分がよく知っている“新幹線の模様の座布団に座っている人”という認識だったのです。
私たちは一人一人に名前があり、誰がどんな名前をしているかということを無意識のうちに当然のこと通して会話を進めています。ところが、Aくんは自分と楽しく遊んでいた友達を、名前を意識して遊んでいたのではなく、同じ空間を共有することが楽しかったのです。そして、自分が知っている知識を基に、相手を意識していたのです。その子にとっては「〇〇ちゃん」という名前でなく、「新幹線の座布団に座っている人」だったのです。その後、一ヶ月もたたないうちにお互いを名前で呼ぶようになっていました。
小学校以降、子どもは授業という形態で、獲得していかなければならない決められた知識を与えられていきます。そしてそういった形態で与えられた知識を正確に認識し、テストという場面で正確に再現できる力を賢さと定義してきました。ところが、コンピューターが発達し、ロボットが活躍する時代を迎え、与えられた知識を与えられた通り再現する能力は、人よりもコンピューターの方が優れていて、その発展形としてのロボットがその分野の仕事をしてしまう時代になったのです。
このような時代を迎え、世界の教育界は小学校以降の教育よりも幼児期の教育に注目が集まるようになってきました。自分が今知っている知識を自覚して、その知識を基に次の世界を展開していく力、このような力の根源は幼児期に育つということが分かってきたのです。子どもの遊びの世界は、このような内容がごく普通にあふれている大切な空間なのです。