園庭で行う運動会の本当の意味

運動会も終わり、園庭ではその余韻を楽しむかのようにさまざまな競技が盛りあがり、年少組の子どもたちが、年長児が行っていた種目を真似て遊ぶ姿がよく見られます。その中で毎年出てくる競技がリレーです。園庭に線を引いておくと、何人か集まりバトンを渡してリレーを真似るのですが、年少児はただ走ることで満足していて人数を合わせて競うという発想はまだ十分ではありません。バトンを渡して楽しむことに主眼が置かれていますので何回も走る子どもがいてエンドレスで競技が続きます。年中児になってくると、最初から人数を合わせて競うという競技の基本を理解したうえで楽しむ姿が見られます。また、なにげない事ですが、普段から園庭で練習しているのを他学年も興味を持って見ていて、運動会当日も園庭でリレーを行っている。練習と本番が同じ場所だからこそ、子どもたちがリレーのイメージを持ちやすい、真似をしたくなる環境が整っていると思っています。

クラス対抗で行うと、クラスの中に特別に走るのが遅い子どもがいるといつも負けてしまうということが起こってきます。特別にハンデを付けて競技を行う時もありますが、出来るだけ同じ条件で競技をするようにしています。そうすると、「〇〇ちゃんが遅いから負ける」ということを言いだす子どもが出てきます。その時に気を付けている言葉が「あなたが頑張り、皆が少しずつ速くなれば勝つことが出来る。一人ずつ頑張ろう。」ということを意識できるよう言葉かけをしています。

競争というと相手との勝ち負けをいうことが多いのですが、私は本当の競争は自分と戦うことだと思っています。一人ずつ自分と向き合い、どんなに相手と離れていてもひた向きに自分の精一杯の姿を示してくれることが、リレーが盛り上がる基本だと思っています。オリンピックで、たとえ負けたとしても、競技を見ているだけで多くの人の心を動かすことが出来るのは、それぞれの選手たちが少しでも高い目標に向かって自分と対峙してきた姿が人々の心を動かすのであって、単なる勝ち負けでこれだけ人の心を動かすことはできないと思っています。

幼児期は、それぞれが様々なことに挑戦し、少しずつ自分が出来ることを増やし、自分の力で世界を切り開いている時期です。教え込まれてするのでなく、友達の姿を見て自分もできるようになろうと、何時間も続けて、何日も続けて「自分もできた」という喜びを経験する時です。幼児期のこのような経験が、大人になって新しいことに挑戦し、自分の世界を切り開いていくことが出来るようになるのにとても重要だと思っています。