“思い”と“ことば”の関係

今回は、私の子どもの話をさせていただきます。お許しください。

二男が年長の時、5月の連休明けに登園拒否を起こしました。理由が分からず戸惑っていると、段々拒否をする態度がきつくなり、しまいには家から出ようとしただけで泣きながら激しく抵抗しました。行かない理由を聞いてみると仲良く遊んでいたりょうくんが、言うことを聞いてくれないというのです。ホールで遊んでいると遊具を取っていったりするので注意しても聞いてくれないから幼稚園に行くのは嫌だと主張するのです。

担任と話し合ってみると、最近りょうくんと一緒に遊んでいる様子はなかったという報告でした。どうも様子が変だと思いながらしばらく幼稚園を休ませていると、昼までの日は行くと言うようになり、そのころはまだ土曜日も幼稚園があった時でしたから、12時に降園する水曜日と土曜日だけ行くようになりました。どうもみんなと一緒に食事をするのが嫌だと感じ、嫌だったらお弁当を食べなくてもいいから行ってみるかと尋ねると、段々と登園拒否はおさまるようになりました。

その時に、思い出したのが連休中のある出来事でした。連休中に私の兄弟が集まり、彼の従妹9人と一緒にホテルバイキングに食事に行ったのです。一番小さい彼は思い切りみんなと一緒に食べて帰ろうと立ち上がったとたん、お腹に入っていた食べ物をテーブルの上に吐き出したのです。もちろん周りの皆は大騒ぎするのでもなく、彼の出したものを片付け、何事もなかったかのようにホテルを出たのですが、彼にはショックだったのでしょう。どうも、連休明けに幼稚園の皆と食事をする時に、その時のようにもどすのではないかと心配していたようです。お弁当のない日にだけ行くということは、食べなくてもいい日だから大丈夫と思ったようでした。

登園拒否が収まってしばらくして、りょうくんの話をすると彼は、「ああ、さくらぐみのときな」と答えたのです。さくらぐみということは1年前の年中の時のことを言いだしていたのです。どうやら彼は、幼稚園に行かない理由を、1年前の話を持ち出して親に説明していたようでした。彼が言ったことは“うそ”ではなく、彼なりの理由を、思い出せる範囲の中で説明していたのでした。

このこと以降、私は子どもの話は“うそ”ではなく、事実とは異なるかもしれないが、その子なりの真実を語っているのではないかと考えるようになりました。“うそ”をつけるようになることも、発達の視点から見ればそれなりに重要な要素ではあるのですが、子どものことばは単なる“うそ”ではなく、それなりの子どもの思いを表出したものだと捉えることも大切だと考えています。ちなみに、つい最近、31歳になった彼に登園拒否のことを尋ねてみると全く覚えていませんでした。