“花がきれいだね”

今回は孫の話から始めさせていただきます。お許しください。

先日、2歳半の孫家族と一緒に食事に行きました。小さな部屋を取っていたので、家族だけで食事をしていたのですが、孫はなかなか落ち着いて食事ができません。少し食べては動き回っていたので、お母さんがそのたびに、「食事は座って食べなさい。」と何度も注意するのですが、いったん座っても少し経つと動き回ってしまいます。何度もそんなやりとりを繰り返した後、お母さんがたまりかねて部屋の外に連れ出しました。そして、部屋の外に出た孫が、そこに置いてある生け花を見て、「この花、きれいやな」とお母さんに言ったのです。

食事をする時に、「座って食べなさい」ということを子どもに伝えることは大事なことだと考えています。マナーの一つとしてそのことを身に付けることは大切なことです。ただ、2歳半のレベルだと、“行動したい”という欲求の方が強く、それを“抑制する”というレベルまではまだ育っていません。行動欲求が先に出て、その後で制御行動が出来るようになるのです。だからと言って、動き回る動作をほっておいていいというものではありませんが、2歳半の子どもには難しい課題なのです。ですから、“言っても、すぐに出来るようにはならないだろうな”という思いを持ちながら、言い続けて欲しいのです。

一方で、「花がきれい」という、美意識と言うか、物に対する価値判断は、この時期の子どもでも獲得することができるのだと孫の言葉を聞いて思いました。「花がきれい」という言葉は、それまでにお母さんと一緒に歩いている時に、同じ方向を向いて、同じ景色を見て、その状況を「きれい」という感覚を共有する体験が子どもにとって気持ちいいものと経験していたから、その言葉が出たのだと思います。

「三つ子の魂百まで」という言葉があります。この言葉を引用する人は多いのですが、多く“魂”の箇所を、“知識”の感覚で使われていることが気になっていました。幼児期に親が持っている美意識や様々なものに対する価値判断を共有できれば、子どもが大人になってからも、同じものを美しいと感じ合える関係ができるのではないでしょうか。この価値観は、親子の時間を多く持つことによって培われるのではないかと思っています。

時間の余裕がある時でいいですから、夕陽が沈む光景を親子で同じ方向を向いて、同じ景色を共有して、「きれいだね」と言葉を交わす時間をつくってみてください。それはとっても貴重な時間だと私は思っています。