幼児期の遊びの重要性

 ある日、サッカーをしていた年長組が何か揉めていました。話を聞いてみると、A君がコートの外の壁に当たって返ってきたボールは、もう一度投げ入れないで試合を続けようと提案しているのでした。A君の言い分は、コートの外には出ているが、すぐに跳ね返ってくるし、投げ入れなくてもそのまま続けられるという主張でした。周りの子どもは、相手のボールになるのをそのまま続けることに意見はあるものの、跳ね返ってくるボールをそのまま続けるのも面白いかもしれないといった雰囲気でした。結局みんなで話し合って跳ね返ってくるボールはそのまま続けていいことになりました。

 サッカーなどのスポーツは一定のルールを共有することで試合が成り立ちます。コートの外に出たボールをそのまま続けることは、試合では許されない行為なのですが、子どもたちは意に介さず新しい壁跳ね返りルールをみんなで共有して遊びを続けていました。この雰囲気を見ながら私は、試合ではない遊びの範疇としてのサッカーの良さを感じていました。ルールを守ることが原則ですが、新しいルールを絶対に付け加えてならないのは試合であり、遊びの範疇であれば子どもが思い付いた提案を周りの子どもが面白いと受け入れるのであれば、新しいルールを提案することは問題行動ではありません。むしろ、遊びを共有しているからこそ、こんなことをしてみようという提案が許され、それをみんなが共有すれば新しいルールの下で遊びは継続することが出来ます。

 社会人になって要求されることは、まず原則としてのルールを理解し守ることからスタートとします。ただ、昭和の時代は、このルールを守るという行動ができることが重要な意味を持っていたのですが、一定のルールを守るだけの範疇は、コンピューターやロボットが人に変わって仕事をする時代を迎えたのです。ルールを理解したうえで新しい提案ができる能力が現代社会では求められています。こういった能力の基礎は、遊びという形で子どもの中に育ってくるのです。社会が高度化するにしたがって、従来の教育で教えられた以外の部分の重要性が増してきました。そして、社会人として重要な新しい能力を研究していくと、その多くが幼児期の教育に結び付いてきたのです。従来、幼児期の遊びの重要性は幼児教育関係者の間では共有されてきたのですが、そのすそ野が広がって、教育学のメインテーマの一つに幼児期の遊びが注目されてきているのです。